上山者(参禅者)の声


 永源寺の生活は、坐禅や読経などの他、境内の掃除や、典座寮(台所)における日常のおつとめをはじめ、時には托鉢をしたり、裏山の草木を切って生け花をしたり、法語作成のために漢字(平仄や韻)を学んだり、習字の練習をしたり、お袈裟の把針(縫うこと)をしたりと、季節に応じて様々です。 大自然に囲まれた環境に加え、地域の人々と共に行持(ぎょうじ:行は修行、持は護持・継続の意)をつとめている永源寺には、時々、参禅希望や修行希望の方が来られますが、その方々にこの寺についての感想文を書いていただきました。 どうぞ御一読下さい。




初体験(坐禅を終えて) 堺市在住 迫頭真一


 四年前に友人が亡くなってから、毎年春にこちらにお墓参りで訪問しています。今回は地元の先輩の紹介で坐禅の初体験をすることになりました。坐禅といえば、よく小さい頃、大阪では悪いことをしたら高野山に連れてゆくといわれたものでした。そのようなイメージがあるため、坐禅イコール修行、鍛練、厳しいものという見方があり、なかなか坐禅をする機会はなく五十年以上経ってしまいました。
 友人を失った頃、私は仕事が忙しく精神的にまいってしまい、三ヵ月ばかり休養を取っていました。その頃は何をするにおいても先が見えず、また気持ちも前に進まず、迷いの渦から抜け出すのに必死でした。その時に家族や友人に助けられ立ち直りましたが、その代償ではないのですが、友人二人を失うことになりました。
 昨年の秋には友人の納骨供養をできたことを喜んでおります。時が経つにつれ自分の気持ちも落ち着き、今は何が大切なのか、これからどのように生きてゆくのかおぼろげながら見えた気がします。そのようなことを考えながら今回の坐禅体験をしました。
 坐禅後感じたことは、普段生活に追われ、都会生活の中、ふと自分を見つめる時間、そんな時間を作るのに最適な場所、空間、「本当の自分自身の成長」を見つめるのに坐禅というのがあると感じられました。本当に貴重な体験有難うございました。